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札幌高等裁判所 昭和36年(く)15号 決定 1961年10月20日

少年 A(昭一七・一・一四生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は抗告人提出の抗告申立書記載のとおりであるから、これをここに引用する。

所論は結局原審の少年に対する措置は著しく不当であると論難し、少年に対しては少年の兄、Yが自分の働いている現場に連れて行き、責任を持つて就業させると自発的に申出ているにより、在宅保護の方途を選ぶべきであると強調する。しかし、一件記録により認められる本件非行の動機、態様、少年の性格及び行動傾向、交友関係、非行前後の不健全な生活態度、その家庭環境、殊にその補導能力の劣弱さ等を考えあわせるときは、この際施設に収容して、矯正教育を施すことが少年の将来にとり最も適策であると考えられる。

抗告人の主張する少年の兄、Yによる在宅保護も一応考えられないではないが、同人が未だ二二歳の若年であり、少年の補導を託するに足りる十分な能力を有するものとも認められず、且少年の性格、交友関係等よりみて、その成功は期待できない。

してみれば、原審が本件非行の態様および少年の年令等を考慮のうえ、特別少年院に送致した措置は、まことに相当であり、これを以て著しく不当であるとする論旨は理由がない。

なお、一件記録を精査しても、原決定を取消さねばならない理由は一もこれを見出し難いので、本件抗告はその理由がない。

よつて少年法第三三条第一項、少年審判規則第五〇条に従い、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 矢部孝 裁判官 中村義正 裁判官 萩原太郎)

別紙

抗告申立書

少年A

抗告の趣旨

一、Aは前回の事件では、短刀を持つて恐喝した理由によつて、罰せられましたが、短刀は、○尾某が持参したるもので、その際に、Aは反対して、それの危害を、未然に防いだのであります。その時の事件と今回の事件とを、からみ合せて少年院送りの様に思われたので、今回裁判長に申上げたところ、A自身が持参しないのでも、その時一諸に居た場合は、共犯とみなすと言われたので、それならば仕方がないと思つたのですが、只今考え直して見ますと、それならばその時、Aと同行した、○尾某其他一名の者も、何等かの形に於て、処罰されなければならない筈なのに、一名だけ単独犯の如く処罰された事は明かに不公平の様に思われます。

二、現在の社会状態を見ますと、青少年の不良化は、全く大人の責任であり、政治家の責任であると思います。

不良化された青少年の大部分は、むしろ無責任な大人の犠牲になつた者で、全く被害者の立場にあるのだと言つても過言ではないと思います。現在社会の在り方は、大人でさえ不良化される様な「性と暴力」を主題とした、週間誌並びに映画の氾濫であります。それならば、不良化しない多くの青少年は如何と言われるでしよう。それに対して申上げます。非行少年の多くは少数の貧困家庭の少年が多いと言う事実であります。然らばAはそれ程、貧困かと言われるでありましよう。その通りであり、昔は可成り贅沢な暮しをした丈に、尚更一層不幸であつたと言う事が出来ると思います。

三、今回Aの少年院送りに就いては、裁判長の話では、Aのグループは、全部少年院、あるいは刑務所送りとなつている。従つてA一名を送らぬ訳にはいかぬ、と言う様な含みのあるお話で、私も仕方ないとあきらめたのですが、現在よく考えて見ますと、A以外の人たちは、皆非行少年の常習者か、或いはその大部分は、ヤクザ者のみであります。

Aは裁判所側では、非行常習者と見るかも知りませんが、それは第一に誌した理由を、お読み下されば、私の言い分が、お解り下さると思います。つまり短刀の危害に、それを取上げてまで反対した事です。

四、私も今回は色々と迷いましたが、要はAが更生して社会が必要とする人間になつてくれる事だと思います。私の恥を申上げるのですが、私も昔喧嘩の事で二度留置所に入つた事があります。留置所は少年院と全然性質を異にすると言はれますが可成り共通点もある事は事実であります。即ち非行を犯した者が、共に生活すると言う点であります。今回Aが少年院に送られる前日、附添の係の方の前で、色々と言い聞かせてやつたのです。私の最も恐れる事は、少年院に行つて、A以上の非行少年に、益々不良化される事であります。その事に対しては、役所では、万全の策をほどこしてあると断言するでありませう、然し実際問題として、果して、何パーセントの更生があつたでしようか。その時係の方の話では抗告などは、私の知つている限りでは、先づ無用な手数だと申しました、かつて一度でも抗告の通つたためしがないと言われました。そんな無用な抗告なら、裁判所でも、本人やその父に、罪な話ではないでしようか、私共は抗告と言う事に、可成りの希望を持つた者であります。裁判上の規則だからと言われるでしよう。それならば私共がその場所で、決して希望を持たない様な含みある言葉もある筈です。係の人の言つた事が事実であるなら、私共は誠に情ない思いです。

五、智能犯と暴力犯とに別けて、そのいづれが兇悪でありましよう。私は智能犯と言う者の性格上、犯罪上最も憎むものであり、暴力は、その者の無智から起きる悲劇であります。勿論同情によつて、罪を左右すべきではないでしようが、然し裁判上情状酌量と言う事も御座います。Aの犯行の性格は、成人したる○上某父子の策に全く乗ぜられたもので、その恐喝も、裁判長に申し上げた如く、A自身は全く煙草銭位の程度にしか考えず、○上某が恐喝した金額五万円などは夢にも想像しなかつたと言つているのです。前回も○尾某外一名に利用されたのが罪を犯した原因となつています。現在Aは井上を憎んでいます。従つて自分の弱点、無智に対して深く反省しております。

六、前回Aの処分は、犯行に比して尤も軽いものであつたと申します。そしてAを家庭の監親下に置いて、更生する可能性もあるとの見解の下に、Aを家族の者に返してくれたと信じます。然るに又新らしく、犯行を重ねた事は、全くその両親にAを更生させる力がないとの見解から、今回の少年院送りとなつたと思います。それ故に、その無能なる両親にかわつて、国が国の施設に入れてやるのだと言われるでありましよう。然し今回は前回と全く事情が異なり、親孝行をしてくれている兄のYが、自分の働いている現場に連れて行き、自分と同じ正業に、責任を持つて就業させると、自発的に申出たのであります。本人も兄の所に行き、必らず更生すると申しております。

少年院などの悪い少年の多いところで、生活させるより、悪い友達も居ない、然も親身になつて心配してくれる、兄のところ、違く山奥に入つて働くのですから、必らず好結果が得られる事は明かであると思います。

七、抗告の最後の理由として、もう一言申上げます。

私の恥を申上げるのでありますが、私共の父母の身内と私の妻の身内には可成り多くの、精神病者が居た事実又私の妹二人とも精神病で一人は四年越入院中、又一人は三十年近くも、私の母と同居して、未だに独身で、社会的に何も正業を持たず、ただ私の弟に生活費を貰つて生活している様な有様です、裁判長はAの智能には、何等常人と変らぬと申します。確かにいいところはあるでしよう。一見普通人と変らぬと見られるでありましよう。然し潜在的に何等かの影響あることは、恥ずかしい話ですが、必らずあると思います。Aは確か九ヵ月の早産で然も生れる時は、産婆さんだけでは生れず、医者を呼び三時間も四時間もかかつたと思います。その上死んで生れ、人工呼吸で漸く蘇生したのであります。

更にAの不幸は、私の不始末から、私と妻との二十年以上もの不和であります。財政上のよかつた時から、現在に至る貧困生活に至る二十年、家庭の上に少しも明るさがなく、全くAを不良にした事は、私共両親の罪で、就中私が悪いので、Aは全く被害者であると申せましよう。兄のYの時は未だ財政的に恵まれて居ましたが、A以後の子供は全く学費も満足にやれず、いつも財産差押の連続であります。その上妻は私を憎む余りに、お前達の悪くなつたのは、ひとえに父の責任だと言いきかせるので、益々小供たちには、非行に対する責任観念がないのであります。全くAは条件の悪い時に育てられたと言えます。以上の理由により、何卒Aに対し寛大な処置と、父親私の真情を酌みとり、もう一度我々の手に帰らせていただきたいのであります。

昭和三十六年九月七日

札幌市南○条○○丁目

父 F

札幌家庭裁判所 御中

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